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東京地方裁判所 昭和39年(行ウ)8号 判決

原告 渡利全策

被告 行政管理庁長官

訴訟代理人 小林定人 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、原告主張の請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二、そこで、先ず右請求原因二の(一)の主張につき判断する。(原告は、本訴において本件処分の取消を求めながら、右(一)の主張中しばしば「本件処分はその効力を生じない。」若しくは「本件処分は無効である。」等の語を用いているが、本件が原告にとつていわゆる本人訴訟であることを参酌すれば、本訴の訴旨は「本件処分が無効ならばその無効宣言を、また取消を免れざる違法あるに止まるならばその取消をそれぞれ求める。」にあるものと善解するのが相当であるから、そう解した上で判断を加える以下、原告主張の請求原因二の(二)ないし(三)についても同様である。)

(一)本件辞職承認処分が、原告主張の行政管理庁勇退勧奨要領(以下、単に要領と略称する。)にもとずき原告に勇退を勧奨した結果原告から辞職の申出があつたものとしてなされた処分であることは被告の認めて争わないところである。しかし、(1) 行政管理庁には右要領制定の権限がないのみならず、(2) 内容も違法であり、(3) 制定手続においても違法である。という原告の主張は、容認し得ない。

すなわち、〈証拠省略〉をそう合すると、右要領は、行政管理庁が職員人事の膠着を排し職員一般の志気向上に資する目的を以て、職員中一定の年令に達したものその他に退職を勧奨し、本人納得のもとに任意に辞職願を提出させて勇退を計ることとし、右勧奨の基準、勧奨に応じ退職する場合の退職手当、就職あつせん、再採用等につき規定した内規であつて、一定の年令に達するときは本人の意思如何にかかわらず職を失うべきものとするいわゆる定年割度を定めたものではなく、しかも、任命権者たる被告がこれに決裁をしていることが明らかであるから、原告の前記(1) (2) (3) の各主張はいずれも理由がない。原告は右内規は運用の実状によつて実質上定年制と化していると主張するけれども、右運用の当否は内規自体の効力を左右するものではない(なお、本件処分に関して右運用に不当の点のないことは後記のとおりである。)。また、原告は前記請求原因二の(一)(3) の(イ)ないし(ヘ)のような主張をするけれども、(イ)右要領実施についての被告の決裁が依命通知の事前であると、(ロ)右決裁が押印の方法によつてなされたと花押その他の方法によつてなされたと、(ハ)右決裁文書に被告の補佐官である政務次官の決裁があると否と、(ニ)被告の決裁が政務次官の決済の後に行われたと否と、(ホ)決済文書は原告主張の各局長の認印が存すると否と、(ヘ)依命通知につき長官の決裁があると否と、如きは、いずれも右内規の効力を左右するものではないと解するのが相当である。

元来、本件辞職申出が原告の自由意思に基くものであり且つこれに対する承認処分が行政処分としての形式及び実質において欠けるところがなければ、たとえ右辞職を勧奨する原因となつた内規が内規としての効力を有しなかつたとしても、右辞職承認処分は有効といわざるを得ないのである。それ故、右内規が無効であるから本件処分も無効又は取消さるべきであるという原告の主張はこの点において既に失当であるが、まして、右内規が無効と認められないこと前示のとおりである以上、原告の右主張は採用の余地がないものといわなければならない。

(二)次に、原告は被告に対し辞職申出をしたことはないと主張し前顕、原告本人の供述中には右主張にそうかのような部分があるけれども、〈証拠省略〉をそう合すると、当時行政管理庁関東管区行政監察局付総理府事務官であつた原告は、昭和三七年五月二二日水戸関東銀行の二階で、同銀行において行われた行政管理庁苦情相談協力委員に対する委嘱状伝達式に出席した関東管区行政監察局長奥村英雄に対し、原告名義の同年五月三一日付辞職願を封筒に入れて預けたこと、右奥村英雄はその数日後右辞職願を封筒入りのまま行政管理庁秘書課長河野勝彦に手交したこと、同課長は同年同月二八日に至り、同月三一日付で右辞職願にもとづく辞職を承認する旨の発令案を任命権者である被告に提出し、後記の如く決裁を受けたことをそれぞれ認めることができる。それ故、原告の右辞職願にもとづく辞職申出は、おそくとも同年同月二八日任命権者である被告に進達されたものと認めなければならない。

原告は、原告が前記奥村英雄に辞職願を預けた「原告の納得できる転職あつせんを受けるまで、行政管理庁に提出しないように」と申入れたところ、同人は「原告から連絡があるまで誰にも渡さない」旨確約したと主張するけれども、この点に関する原告本人の供述は際前顕奥村証人の証言と対比すると未だ右主張を確証するに足らず、他にこれを肯認するに十分な証拠がない。

(三)次に、原告に対する本件辞職勧奨が数回にわたつて行われたことは証人森浩の証言によつて明らかであるけれども、右勧奨が脅迫、虚言、強制、妨害を用いて執拗に行われたため原告としてはこれを受諾の余儀なきに至つた旨の原告の主張は、原告本人の供述によつても未だこれを認めるに十分ではなく、他にこれを認めるに足りる確証はないのみならず、却つて、〈証拠省略〉によれば、右勧奨にあたつては、かねて原告が行政管理庁の勇退勧奨制は実質上停年制であつて憲法違反であるという見解の持主であつた関係上、勧奨の衝に当つた当時の関東管区行政監察局長森浩との間に相当議論がたたかわされたが、結局昭和三七年二月中旬頃原告は「行政管理庁当局が納得の行く転職のあつせんをしてくれるならば勇退しよう」という考えになり、任意前記勧奨を受諾し、辞職願を提出するに至つたものであつて、その間原告主張の如き脅迫、虚言、強制、妨害等の手段を用いて受諾を強要した事実はないことをうかがい得るから、原告の前記主張は採用し難い。

更に、原告は前記勇退勧奨制が実質的定年制でなく、勧奨に応ずると否とが全く職員の自由意思に委ねられていると知つたら、また、被告が原告の納得できる転職をあつせんして呉れないと知つていたら、前記辞職願を提出することはなかつた筈であるから、右辞職願による辞職申出は錯誤により無効である旨主張する。しかし、原告本人尋問の結果によつても、原告は「勇退勧奨に応じた以上辞職願を提出しないと内規違反になる」と考えていたことを認め得るに止まり、勇退勧奨を受諾すると否との自由が職員に存しないと信じていたとは認められないのみならず、却つて、原告が数次にわたる勇退勧奨を受けたに拘らず受諾せず、その後前記のような考えになつて初めてこれを任意受諾したものであることは既に認定したとおりであり、この事実に〈証拠省略〉をそう合すれば、原告としては、右勧奨を受諾すると否との自由がないと信じた結果前記辞職願を提出するに至つたものではないことが明らかであるから、この点につき錯誤があつたとは認められない。また、その後原告が行政管理庁当局のあつせんにより本件処分発令の翌日である昭和三七年六月一日付辞令で水戸赤十字病院事務部長に就職し、同年八月三一日承で引続き勤務したことは当事者間に争いのないところであつて、結局原告の納得する転職あつせんが行われたことに帰着するから、この点に関して原告主張の如き錯誤があつたことは認められない。もつとも、原告は転職先において月金五万円以上の給与を受くべきことを希望していたに拘らず、前記水戸赤十字病院事務部長として原告の受けた給与は月金五万円に満たなかつたことは当事者間に争いがないけれども、原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和三七年五月二日茨城地方行政監察局長室で転職の件に関し日赤水戸支部事務局長市村某と面談した際、前記事務部長の給与として到底月金五万円は出せない旨言われたので、その場で行政管理庁河野秘書課長に電話してその旨伝えたところ、同課長から「しかたがないではないか」と言われた結果即時前記市村事務局長に対し「しかたがありません。よろしうございます」と答え、進んで同局長との間に事務部長の発令年月日を同年六月一日とすること等の交渉にはいつた事実が認められるのであつて、しかも、同年六月一日発令後同年八月末日まで勤務したこと前示のとおりである以上、原告は前記転職につき納得したものと認むべきである。(以上の事実関係であるに拘らず、原告が今更右給与の意に満たなかつたことを理由として「納得できる転職のあつせんがなかつた」旨主張するのは、信義に反するものがあるといわなければならない。)

なお、原告は「本件辞職申出は被告において原告の納得できる転職をあつせんすることを停止条件としたものである」旨主張するけれども、原告本人の供述中この点に関する部分は次の各証拠に照らし到底採用し難く、却つて〈証拠省略〉に徴すれば、原告が本件勇退勧奨を受諾するに至つたのは行政管理庁当局が原告の納得できる転職をあつせんしてくれるなら勇退してもよいと考えたからであることは前記のとおりであるが、正式の辞職申出の意思表示は乙第二号証の辞職願と題する書面によつてなされたものであり、右書面による意思表示には何ら原告主張の如き条件は付されていなかつたことを肯認するに足りる。それ故、この点に関する原告の主張は採用のかぎりでない。

(四)更に原告は、本件辞職承認処分の発令は被告において右辞職を承認した事実なきに拘らず下僚が勝手に発令したものである旨主張するけれども、前記辞職願と題する書面は、原告から当時の関東管区行政監察局長奥村英雄へ、同人から行政管理庁秘書課長河野勝彦へと順次さ手交れ、おそくも同年同月二八日までには被告に進達されたものであることは前認定のとおりであるのみならず、〈証拠省略〉によれば、右辞職願による辞職申出については、所管の係官の手によつて同年同月三一日付辞職承認処分の発令案が起案されたが、右発令予定日には当時の行政管理庁長官川島正次郎、同事務次官某はいずれも出張不在となることが予想されたので、同年同月二八日前記河野秘書課長自身右発令案を携えて右長官及び事務次官の事前決裁を受け、且つ、同年同月三一日予定どおり前記辞職承認処分が発令されるや、即時行政管理庁長官官房秘書課から茨城行政監察局長に電命して右発令の事実を原告に伝達させたものであることをそれぞれ肯認するに足りる。

原告は、前記承認処分発令案の欄外記入事項の無視、辞職願の受理印欠如、右発令案決裁文書に右辞職願の添付がなかつたこと等を本件辞職承認処分発令が辞職承認処分なきに拘らずなされたものであることの理由として列挙するけれども、仮りにこれらの事実があつたところで、本件辞職申出が被告に進達され、被告がこの承認に決裁を与えたこと前記のとおりである以上本件辞職承認処分の存在を否定し、承認処分発令を違法視するには足りないものと解するのが相当である。

三、以上の次第であつて、本件辞職承認処分には何ら原告主張のような違法はなく、その取消を求める本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川添利起 園部秀信 西村四郎)

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